佐藤三佳公式サイト

2015.5.2 | カテゴリ:ブログ

サイモントン療法への道のり

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こんばんは。
札幌在住、サイモントン療法
認定カウンセラーの佐藤三佳です。
このサイトにアクセスしていただき、
ありがとうございます。
 
 
前回からの続きのお話です。
 
父が倒れてからの数か月間は、
本当に必死でした。
 
不整脈が原因で倒れた父の心臓は一度止まり、
救急隊が到着して、甦生処置の末やっと、
再び心臓を動かし始めたのだそうです。
 
手動で心臓に酸素を送られていた父。
運ばれた病院で母は、
「人工呼吸器はどうしますか?」
と聞かれ、
「つけないとどうなるんですか?」
とたずねたそうです。
「この手を止めれば、心臓は止まります。
 しかし、一度人工呼吸器をつけたら、
 外すことはできません」
そのように説明されたそうです。
 
姉はまだ実家には到着しておらず、
母は、一人で決断を迫られました。
父はICUに入って、人工呼吸器をつけました。
 
そのから1年10ヶ月、
父は意識が戻らぬまま、逝きました。
 
この間、母は何度も
「お父さんは、管につながれてまで
 生きていたくないと、言ってたのに、
 人工呼吸器をつけるって言ったばかりに
 一番嫌がる姿になってしまった」
と後悔の言葉を言っていました。
 
しかし、私はそうは思いませんでした。
母の判断は間違っていなかったと思います。
 
父が倒れたという事実は、
望んでいた形ではなかったけれど、
私たちが、父の人生を振り返る時間を
くれたのだと思いました。
それは必要な時間でした。
 
働き過ぎていた父を
病気は強制的に休ませたのですね。
 
悪い方へ考えてしまいそうな時、
サイモントン療法の考え方が、
私を、母を、より健全な方に
導いてくれました。
この時はまだ、ビリーフワークは
身についていませんでしたが・・・
 
 
ご縁がなかったとあきらめた
サイモントン療法に関わるのは、
それから3年後でした。
 
カール先生の訃報を知り、
東京でお別れの会を行うことを知ります。
 
伊豆では、お世話になったのに、
ご挨拶もできなかったスタッフの皆さんに
会いに行こう・・・。
たまたま、その時期に
とらなければならない休みが2日間あり、
これを使って、夏の東京に行きました。
 
その翌年、
「札幌で2daysをやるから手伝って」
と、チラシが送られてきました。
調剤薬局で働く友人に、
窓口に置いてもらいましたが、
集客はできませんでした。
自分だけは、必ず参加する、
そう決めていました。
 
この時参加したことが、
翌年の6daysへの参加へと
つながっていきます。
もっと、知りたい。
ちゃんと学びたい。
 
振り返ってみると、
長い道のりです。
サイモントン療法を知ってからは、
すでに10年近い年月が経過していた
計算となります。
 
ご縁は続いていたということです。
必要なことは、
自分の思う形とは違う形でも
やってくるので、
気づけないでいることも多いです。
 
おそらく、今後も
たくさんの素敵な回り道をしながら、
私の未来に向かって歩み続けるのだろうと
思っています。

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